東松島市議会 2022-12-12 12月12日-一般質問-03号
本市としては、そういった自発的な取組を最大限支援していきたいと考え、これまでも商店街の街路灯の維持管理に対する補助金の支給や、灯具のLED化のほか、平成30年度においては新元号制定日及び東京オリンピックの聖火到着日等に合わせながら、地元商店街からの街路灯への国旗掲揚によるにぎわいづくりを行いたいとの要望を受けまして、国旗購入に対する補助を行っているという実績もあります。
本市としては、そういった自発的な取組を最大限支援していきたいと考え、これまでも商店街の街路灯の維持管理に対する補助金の支給や、灯具のLED化のほか、平成30年度においては新元号制定日及び東京オリンピックの聖火到着日等に合わせながら、地元商店街からの街路灯への国旗掲揚によるにぎわいづくりを行いたいとの要望を受けまして、国旗購入に対する補助を行っているという実績もあります。
令和の果樹の花里づくりの観光資源としての考え方について、令和4年第1回定例会においても大橋議員のご質問に答弁しておりますが、東日本大震災の防災集団移転促進事業により買取りした土地のうち、特に野蒜地区ではカヤとか柳、ニセアカシアなどが繁茂していることから、要するに東松島の観光の玄関である奥松島としての玄関口としてふさわしい景観にする必要があり、私としては令和の元号にちなみ、梅を中心として様々な果樹栽培
東日本大震災に伴い、防災集団移転事業により市有地となった移転元地を活用して、地域の活性化、産業及び観光の振興を図り、持続可能なまちづくりにつなげるため、令和の元号の由来にちなみ、梅を中心とした果樹栽培等による第6次産業化や新たな雇用、交流人口の拡大による地域のにぎわい等を創出するため、東名運河南側25ヘクタールを活用した令和の果樹の花里づくり構想を進めております。
ところが、ほとんど復興庁に言っても、もう復興庁は新しい事業は認めないという話で、非常にガードが固かったわけで、これについても皆さんの議員のほうからもいろいろこれまでも進めてきた中で、しかし何とかならないのかというのが出て、当時菅官房長官が「令和」という元号を出したとき、私は、それであれば、それは万葉集の梅を使った言葉である、そこにヒントを得て、令和の果樹の花里づくりということで、梅を主体とした、そういう
その後、今の菅総理が官房長官だった時代に、令和という元号を出したとき思いついたのが、令和の果樹という形で思いついて、そして新たにこういうことであれば、国は予算化せざるを得ないのではないかというのが令和の果樹の花里づくり構想です。
それで、何かできることないかといったとき、まさに今の総理が3年ばかり前に令和というのを、元号を出したのです。それのときに歌った歌が「初春の令月にして、氣淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き」ということで、そういう万葉集が出たものですから、私はこれを令和ということで梅を使えば、この雑草対策何とかなるのではないかということで、その後復興庁に出したのです。
そのような中で、復興大臣はじめ復興庁及び宮城復興局に対し、令和の元号の起源となった万葉集にちなみ「梅」を中心とした果樹園整備を幾度となく要望した結果、東名運河沿いの3.7ヘクタールの用地及びかんぽの宿の跡地ですね、6.3ヘクタールほどあるのですが、これを合わせて10ヘクタールの整備を復興交付金の畑地造成事業として、これはやっと認められました。
令和へと元号が変わった新しい時代でのさらなる飛躍に向け、大崎市の宝を全ての市民がより深く理解し、市民自らが発信することを目的に、「宝の都(くに)・おおさき 魅力“真”発見」をテーマに15周年記念事業を実施してまいります。 また、甚大な被害を受けた東日本大震災から、令和3年3月11日で10年を迎えます。
まず、昨年度を振り返ってみれば、5月に今上陛下がご即位され、「令和」という新元号となり、気持ちも新たに希望を持ってスタートを切りました。 しかしながら、昨年10月の台風第19号による豪雨は、本市に大きな被害をもたらしました。
ただし、私とすれば、特別名勝松島とか、奥松島観光という野蒜駅からの絡みとか、野蒜と宮戸の観光を考えると、やはりあそこをあのままでいいのかという、何とかしなければならないなということでずっと考えておったとき、たまたま元号が替わって令和になったというときの菅さんの元号の令和の由来ということで、「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す」という話がテレビに出たときに、こういうことで
新旧対照表の下線部分が改正点で、地方税法の改正に伴って生じた条ずれ及び項ずれについて、改正、元号の改正、文言整理等を行うものであります。 59ページにお戻り願います。 下のほうの附則でありますけれども、第1項は施行期日で、この条例は令和2年4月1日から施行するものであります。 第2項及び60ページの第3項は経過措置であります。
同大会は、国民体育大会や全国植樹祭と並び、天皇陛下の主要地方公務とされており、令和へと元号が替わって初めての新天皇皇后両陛下の御来席となります。本市において式典が開催されることは、復興の姿を全国に示すとともに、本市の水産業の未来に希望を見いだせる大会になるものと確信しております。今大会に向け、県を中心として着々と準備を進められているかと思います。
新たな元号となっても、残念ながら台風第19号を初め災害は起こります。国も自治体も、過去の経験から学びながら災害対応を強化していただきますよう願いまして、私の一般質問を終わります。 ○議長(木村忠良議員) 以上で20番丹野清議員の質問を終わります。 △延会 ○議長(木村忠良議員) この際、お諮りいたします。本日の会議はこの程度にとどめ、延会いたしたいと思います。これに御異議ありませんか。
元号が令和となり、何といっても台風19号は本市にとっても甚大な被害になり、被災された皆様におかれましては、一日も早く安心できる生活に戻られますよう御祈念するものでございます。 また、全国各地からの御支援にも心から感謝申し上げますとともに、伊藤市長を初め、執行部におかれましても、昼夜を問わず懸命に復旧復興に向けてしっかりと取り組んでいることにも改めて敬意を表するものでございます。
こちらのほう、長期の年数ですが、旧元号になりますが、平成36年から38年の間という形で、38年を目途に1万人を見込んでおります。 ○議長(大橋博之) 土井 光正さん。
アメリカ大統領の発言に対する大崎市の考え方でございますが、本年5月、元号が令和となり初めての国賓として米国のトランプ大統領が来日し、議員から御紹介がありましたように同大統領が農産物の自由化について発言したことは、報道において承知をいたしているところでございます。昨日来もまた来訪いただいているところでございます。
平成から令和という新しい元号に変わりました。この令和の時代、私の住んでいる上流社会、どのようになっていくのでしょうか。飽くなき挑戦をこの令和の時代も、しっかり上流社会が最後まで残っていくように戦い続けていきたいなというふうに思っているところであります。 今月9日に鬼首でとてもささやかなコンサートがありました。御両親が学校の先生だった関係で、彼女が小学校6年生のときに尾ヶ沢分校に転校してきました。
令和元年と新しい元号の年に入り、復興創生期間もあと1年9カ月となりました。復興事業としてかなり進展していることに、関係者の皆様に厚く御礼申し上げます。 その一方で、人口減少が急速に進んでいる中、さまざまな課題も山積しているのが現状ではないでしょうか。 それでは、今回は3点について一般質問させていただきます。正対した答弁をよろしくお願いいたします。
令和は、元号として初めて日本の最古の書、約1,200年前の国書である「万葉集」を典拠とし、「初春の令月にして、気淑く風和ぎ」から採用したそうです。考案者と言われる中西進氏によると、令和は麗しき大和、日本のことだそうです。麗しく和していきたいものです。 そんな中、先日ショッキングな新聞報道が目にとまりました。
平成から令和へ、日本憲政史上初めての皇位継承前に公表された元号令和、令和の典拠は日本で最も古い歌集万葉集から、中国の古典ではなく国書から採用されたのは初めて、日本の新しい時代の幕あけを感じます。人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味が込められているそうです。市長行政報告の中にあるように、災害のない平和で希望に満ちあふれた、世界に誇れる日本に期待します。